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荒井屋とは

明治28年、牛鍋屋「荒井屋」が誕生 安政6年(1859年)、横浜港が開港。これを契機に西洋の食文化、肉食文化が流入。ここで牛鍋の歴史が幕を開けます。初めは数件しかなかった牛鍋屋。政府の牛肉奨励もあり、明治10年ごろには高級料理店でも牛鍋が扱われるようになりました。そして、明治28年、文明開化が進んだ頃、劇場が立ち並ぶ庶民の歓楽街・伊勢佐木町と呼ばれる界隈に、牛鍋屋「荒井屋」が誕生。当時、横浜へ物見遊山にきた人々がご当地の名物を食べようと荒井屋を訪れ、旨い牛鍋に頬を緩ませたといいます。 安政6年(1859年)、横浜港が開港。これを契機に西洋の食文化、肉食文化が流入。ここで牛鍋の歴史が幕を開けます。初めは数件しかなかった牛鍋屋。政府の牛肉奨励もあり、明治10年ごろには高級料理店でも牛鍋が扱われるようになりました。そして、明治28年、文明開化が進んだ頃、劇場が立ち並ぶ庶民の歓楽街・伊勢佐木町と呼ばれる界隈に、牛鍋屋「荒井屋」が誕生。当時、横浜へ物見遊山にきた人々がご当地の名物を食べようと荒井屋を訪れ、旨い牛鍋に頬を緩ませたといいます。

荒井屋4代目女将 荒井順子

私が嫁いだのが九十周年の頃でした。それから三十年。企業で五十年続けばすごいという時代で百二十年、ましてや牛丼という一つの料理を主に商って続くことにすごく重みがあると感じています。文明開化とともに人々に広まった牛鍋は横浜を代表する食文化といえます。この先も「横浜料理牛鍋」として地元のみならず、横浜を訪れる外国の方々にも親しんでいただき、さらに世界へ広まる名物となることを願っております。

私が嫁いだのが九十周年の頃でした。
それから三十年。企業で五十年続けばすごいという時代で百二十年、ましてや牛丼という一つの料理を主に商って続くことにすごく重みがあると感じています。
文明開化とともに人々に広まった牛鍋は横浜を代表する食文化といえます。
この先も「横浜料理牛鍋」として地元のみならず、横浜を訪れる外国の方々にも親しんでいただき、さらに世界へ広まる名物となることを願っております。

荒井屋料理長 蛯名和夫

十八のころから荒井屋の調理場に入り三代目から五代目・亮一さんを含め四人に仕えてきていることになります。牛鍋屋の数が少なくなるなかでこうしてやってこられたのは、大人も子供も食べられる牛鍋の魅力と、荒井屋の料理が皆様に愛されていることの表れだと思います。今後も作り手が変わっても味そのものは守っていきます。

十八のころから荒井屋の調理場に入り三代目から五代目・亮一さんを含め四人に仕えてきていることになります。
牛鍋屋の数が少なくなるなかでこうしてやってこられたのは、大人も子供も食べられる牛鍋の魅力と、荒井屋の料理が皆様に愛されていることの表れだと思います。
今後も作り手が変わっても味そのものは守っていきます。